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義捐金イベントの罪
広く訴えたいので、いろいろな方にトラックバックさせて頂いてます。誰か特定の方を批判する意図はありません。

今回の東日本大震災を受けて募金をした。金額は3万円。

僕が募金をしたところはここ。
「オルタナ基金」

このオルタナ基金では、こういうことをやっている。

>3)被災地へのメッセージを広く告知いたします
>送金と同時に、alterna(a)alterna.co.jp まで 、
>被災地へのメッセージをお送り下さい。
>オルタナは、本誌やYahoo!ニュース、twitterやfacebookなど、
>さまざまなメディアでこれをお伝えいたします。

そこに僕が寄せたメッセージ。

>皆さんの命を、暮らしを、つなぎとめるために役立てて下さい。

これには僕の思いがある。twitterでもこうつぶやいた。

>まずは命、そして暮らし。音楽はその後。

必要以上に日常生活を自粛する必要は無いと思う。
だが、例えば、停電の可能性がいまだにある中で、
ロックやポップス系の音楽を奏でることは否応無しに電気を消費する。

今の日本の中で「限られた資源」となってしまった電気を、
どこに配分するべきかと考えた時に、
できる限り被災者の方々の「命と暮らし」
を守るために振り分けるべきだと思う。

だから僕は、「今ライブやイベントをやるな」とまでは言わないが、
それをやることで誰かの命を奪っている可能性があるという
覚悟をもってやって欲しいと思う。

それでも必要ならやれ!

「メシ食うな」とは言わんよ。でも、ご飯を食べる時に、
「(命を)頂きます」と言ってご飯を食べるのと近い。

で、きっとこれから、
「義捐金を募るために音楽の力を!」とか言って。
「義捐金イベント」をやろう!
というような声があちこちであがって来るはずだ。

だけど、僕はこう思う。

まず、普段のライブハウスのノルマをこなせない程度の集客力しかない人達は、
「義捐金イベント」とか言ったところで、どうせ客5人くらいしか集められずに、
身内ノリで終わるに決まってるんだから、
バイト代寄付して、普通のライブをやれ。
その上で被災者の皆さんに対して心をこめて演奏しろ。それでいい。

だからtwitterでもこうつぶやいた。

>売れてないミュージシャンの皆!
> ライブハウスのチケットノルマ代に何万払うなら、
>1回ライブ減らしてその分を寄付しないか?
>「ライブやったつもり基金」。

なぜ、僕が3万円寄付したか。
以前に出てたフォーバレーのチケットノルマが3万だったからだ。
フォーバレーで1回ライブやったつもり募金だ。

安易な「義捐金ライブ」やるくらいならその方がいい。

まあ、それでも、「義捐金ライブ」やりたい人は、
確定申告における「寄付控除」の仕組みくらいは学んでからやって欲しい。


「義援金は、確定申告で寄付金控除しよう!」
>小額だから、郵便局で振り込む手間が面倒だからなど、
>さまざまな理由で市役所や街頭の募金箱に義援金を入れる、
>よくあることです。しかし義援金を寄付金控除扱いにするためには、
>次のルールに従わなければいけません。

例えばこういうことだ。

仮に僕が認定NPO法人や、赤十字などの「しかるべき機関」に寄付したとすると、
「寄付控除」が受けられるんだよね。
(大雑把に言うと、税金が安くなるということ。)

でも「某ミュージシャン」の義捐金イベントの募金箱に入れると、
その分の控除は無い。(税金の値引きが受けられない!)

で、その「某ミュージシャン」が、
その募金箱に溜まったお金を認定NPO法人や、
赤十字などのしかるべき機関に寄付したとすると、
僕が受けるはずであった分の「控除額」が消えるだけの結果となる。
(誰も得しない。)
これは僕だけでなく他の寄付した人の分も同様。

さらにもし、(やらないと思うけど、)
その「某ミュージシャン」が「自分のお金」として寄付分を確定申告すると、
なんと、人からかき集めたお金で自分が税控除を受けられる
ということにすらなる。(某ミュージシャンが得をする。)

「某ミュージシャン」を介する意味ってどこにあるの?
各自が寄付した方がいいんじゃないの?

それでも、もし、その「某ミュージシャン」に
義捐金を託すメリットが何かあるとするなら、
「某ミュージシャン」は
「国の認定からは外れてはいるけど、金を必要としている(良心的な)人や団体」
を見つけ出して、寄付を送り届けられる人である必要がある。

果たしてこの基準を満たすミュージシャンってどれだけいるのだろうか??

ちなみに「オルタナ」の編集長の森さんはそれを満たしている人だと思う。
人生をかけて、 社会貢献の雑誌「オルタナ」を運営している人。

だから僕は「オルタナ基金」を選んだ。

森さんは国の目の届かないところでも
支援の必要ある部分についての情報を得られる立場の人だし、
その旨オルタナ基金も宣言してる。↓


>1)誰がどこで何を求めているのか、情報のハブになります
>オルタナ本誌、Yahoo!ニュース、オルタナ・オンラインで
>積極的にニュースで取り上げるほか、
>twitterやfacebookなどを駆使して、オルタナは情報のハブになります。

>2)「オルタナ基金」に、義捐金をご送金下さい
>振込先: 西武信用金庫 原宿支店 普 2094403 カ)オルタナ
>提携団体と連携して被災地の方々に義援金を届けさせて頂きます。
>その内容は、逐次ご報告させて頂きます。

「義捐金イベントやるな!」とまでは言わない。


もしやるなら、
僕の論を越えるだけの
質と覚悟を持ってやってくれ!

そういうことだ。
# by ontan | 2011-03-14 00:39 | 音楽
マニフェスト絶対主義は不毛
Excite エキサイト : 政治ニュース

外国人参政権、子ども手当、沖縄基地問題、八ッ場ダム、高速道路無料化など、民主党マニフェストに関して、様々な論議があり、国会でも話題となっているようだ。

2009年夏の衆議院選挙で、民主党を始めとして各党がマニフェストを掲げて闘った。そして、皆、知ってるように民主党の大圧勝という結果に至った。民主党に投票した者の中には、ろくに民主党のマニフェストの中身を知らずに、「とりあえず政権交代」と考えて一票を投じた者もいるだろう。確かに、それは、喜ばしくないことではある。

しかし、たとえ民主党のマニフェストを読みながらも、「一部の政策には賛同、一部の政策には反対」という気持ちを抱きつつ、民主党に票を投じたものも少なくないのではないか。投票用紙が「政策ごとのマークシート方式」にでもなっていれば、各政策についてyes、noを表現できると思うが、残念ながら我々有権者にできることは、「候補者名、もしくは政党名を書く」という行為だけだ。強制的にいくつかのセットメニューから選ばねばならない状況なのだ。

こういった仕組みになっている以上「マニフェストにあることをすべて実行する=有権者の意見を尊重する」ということには、必ずしもならない。それよりも、政治家に求められているのは、現行の政治状況に臨機応変に対応し、そして、過去、未来を長期的に見据えながら、国民の生活を守ることではないのか。

「マニフェスト」で約束した政策が実行できなかった場合、次の選挙で有権者が「ノー」を突きつけ、その政党に投票をしない。我々にはこういう権利がある。マニフェスト違反に対して、腹立たしい気持ちでいる有権者は、次回の選挙での投票行動を通じて、民主党に鉄槌を食らわせるべきだ。

だが、一方で「マニフェストに書いたからと言ってなんでもやりゃあいいってもんじゃねえだろ!」という怒りを抱いた有権者にも、同じく次回の選挙での投票行動を通じて、政権政党に鉄槌を食らわすことはできる。

要するに、僕の言いたいことは、「マニフェスト絶対主義」は成立しないよ、ということだ。

そもそも「マニフェスト」なるものに法的拘束力など無い。だから、国会では、「マニフェスト違反云々」よりも、もっと前向きの議論をやってもらいたい。半年前に書かれた紙切れも大事だが、手持ちの株券が紙切れにならないように(最近は電子化されてるけど)、いや、人間の命が紙切れのように扱われないように、もっと経済政策についての議論などを活発に行なってもらいたい。
# by ontan | 2010-02-11 01:15
マスクの予防効果に疑問
Excite エキサイト : 社会ニュース

最近、インフルエンザ流行に対応して、マスク着用が義務づけというか、「して当然のもの」になってきている。

でも、マスクの予防効果については僕は大いに疑問を持っている。(人に染さないという意味ではそれなりに認めるが。)多少の防止効果はあるのかもしれないが、着用に伴うマイナスの方が多いのでは? それは僕の去年の体験に起因する。

普段から僕は週2の水泳と週5の筋トレで、身体を鍛えている。身体の代謝もよくなった気がするし、タニタの体重計でも身体年齢は17、18歳と表示されている。(家庭用なので目安程度だろうが。)

運動始めてから至って健康だった。でも、世間の風潮に従って、去年の冬、一時、マスクを着用し始めてみた。そして、その数日後、見事に体調を崩した。そう、インフルエンザに感染していたのだ。

マスク着用がかえって逆効果だったと今でも僕は信じている。自分の「身体の実感」として。(ちなみにTBSラジオ「アクセス」で、「えのきどいちろう」も、突然自らもマスク着用してる旨を述べ、マスク推奨派となったことを宣言したまさに、次の次の週にインフルエンザに感染して番組を休んだ。)

1、マスクによって呼吸が乱される。

何ものにも妨げられずに「吸って吐いて」をするのが、人間にとって自然のはず。適切に「吐く」からこそ、悪い気も身体から出ていくのだ。変な布切れで妨げるから、かえって悪い気がたまるんだ。

2、外気に触れないことで免疫が弱まる。

夏は暑い空気を、冬は冷たい空気を浴びるのが自然。こんな夏からマスクなんかしてたら顔がむれる。皮膚にもよくないだろ?

そんなわけで、もう二度とマスクなんかしないことにした。新型インフルにかかったら潔く、神から休暇をもらったと思って家に籠もって寝るよ。

でも、実は、僕が一番イヤなのは強制圧力というのか、日本人特有の「みんなやってるから」っていう雰囲気だ。

ご親切に僕にマスクを分けてくれようとする人。迷惑です。やめてください!
# by ontan | 2009-08-28 09:57 | 食生活・健康
更新
デモテープ募集してます。
# by ontan | 2007-07-11 11:27 | プロデューサー
実験
ライブやイベント情報のBBSを作成した。(こういうのって多くあるけど、意外と「無料」に絞ったものってあんまりないなーと思って作ってみた。)


ま、いろいろと実験してみるか。

# by ontan | 2006-11-22 04:16 | 音楽
遺書の問診票化が必要?

「ありがとう」と遺書 尼崎の中3転落死



担任教諭にしかられたのがきっかけということを聞いて、藤村操のことなどを思い出した。



>兵庫県尼崎市立中の3年の男子生徒(14)が1日にマンションから転落死した問題で、男子生徒が遺書とみられるメモを残していたことが2日、分かった。
 メモには「学校のみんな、おれと仲良くしてくれてありがとう。これからもみんな仲良くしろよ」などと書いてあったという。
 また市教委の徳田耕造学校教育課長は記者会見で、前日に担任教諭らが生徒に指導したのは交友関係をめぐることで、いじめなどではなかったと明らかにし、「自殺の動機の一つとなった可能性がある」と話した。


「ありがとう」という言葉から、円谷幸吉の遺書のことも思い出してしまった。



これまでいろいろな人がいろいろな遺書を遺し、亡くなっていった。否応無しに最期の言葉は人の心を打つものだ。しかし、今の時代もし遺書を遺すのであれあば、文学的、人間的に情動を揺り動かすかどうかは重大なことではないように思える。


なぜなら「曖昧な表現」で書かれていれば、「いじめはあったかもしれないが自殺の原因とはいえない」云々、この世に残った人々に好き勝手な解釈をされかねないのだ。


今回の少年の自殺の原因はもちろん僕には分からないが、今の時代万が一自殺をするのであれば、解釈の余地のない注射の問診票のような遺書を書かねばいけないのかもしれない。



【遺書テンプレート】
1、自殺の原因はいじめですか?(yes,no)
2、学校に責任はあると思いますか?(yes,no)
3、糾弾したい人物の名を実名で挙げて下さい。(   )
4、該当すると思われる罪名に○をして下さい(暴行、恐喝、脅迫…)
5、それを立証することのできる証拠となる文書などあれば余白に張り付けて下さい。
       :
     (以下略)


文学的表現などは解釈に多様性が生まれるため一切使わずに書く。こうでもしないと浮かばれない時代になりつつある。



こんな問診票みたいな遺書が人間らしいとは到底思えない。もちろんここまで書けるくらいなら死ぬより前に弁護士呼んで訴えた方が早いはずだ。

# by ontan | 2006-11-02 14:54 | 主張
おー、うらやましい!
70時間の補習条件に救済 未履修問題で政府



>全国400以上の高校で世界史など必修科目を履修していなかった問題で、政府は30日、卒業が危ぶまれている3年生について法的問題を集中的に検討。ほかの生徒との不公平を極力生じさせない方法として、公立、私立を問わず、履修時間が不足しているすべての生徒について、3月末までに70時間(2単位)分の補習実施を条件に卒業を認めることで救済を図る方針を固めた。



おー、うらやましい!



僕が受験生だった時に選択した受験科目は「日本史」だった。「世界史」も一応、高校の時に学んだが、その時習った先生がひどかった。ただ教科書を読み上げて、太字になっているところを黒板に写すだけ。本当にやる気のかけらもない先生だった。当然、「世界史」の面白さに気づかされることもなかった。



で、今僕は独学で「世界史」を学んでいる。ブックオフ等で旧版の「学習漫画・世界の歴史」(集英社)と、同じく旧版「世界の歴史」(中公文庫)が1冊\100程度で入手できたので、全巻揃えて、日々読み進め、また、スカパー!で「ヒストリーチャンネル」や、「代ゼミTVネット」などを録画し、それをポータブルDVDプレイヤーやiPodに入れて通勤電車の中で見たり、聞いたりしている。その中で興味を惹かれた人物や思想があれば、岩波文庫などで直接、読んで理解を深めるようにしている。



以上が僕の「世界史独学法」なのだが、学校を卒業してからの自力での勉強は、楽しくもやりにくくもある。いい先生が集中講座みたいのをやってくれるなら僕も受けたいな。



受験がある程度一段落したこの時期に「受験のためでなく純粋に世界史を学ぶ」という状況は、実は幸せなことではないか。学校の先生よ。意地を見せてみろ! 受験という制約のない時期に集中して世界史が講議できるなんて絶好の機会じゃないか。生徒達が一生忘れられないくらいの知的感動を与えてやってくれよ。「俺、世界史で受験しておけば良かった」「もっと世界史について知りたいから先生のおすすめの本を教えて下さい」とか生徒から声が出るような授業をしてやって下さい。



とはいえ実際は「プリントを適当にやらせるだけ」「教科書読み上げるだけ」の授業しかできない先生も多いんだろうな。この際だから文部省で特別チームを作って「地域合同世界史補習セミナー」でもやってはどうか。大学の先生や、作家さん評論家さん、予備校や塾の先生などからも能力の高い人を集めて、地域の公民館とか博物館とかで「本当に面白い世界史の授業」を世界史を履修できなかった高校生を一同に介して行なうのだ。そして、ついでに過去に世界史を履修できないまま卒業した人や、僕のようにロクデモナイ授業しか受けられなかった人、さらに地元の御老人なども無料、もしくは格安で参加できるようにして、地域振興にも役立てていけばよい。



無理矢理に数字を摺り合わせるだけなら皆にとって辛いものにしかならない。これをむしろチャンスと考えて、より皆のためになる方向で、この問題に取り組むことができればそれが一番いいはずだ。

# by ontan | 2006-10-31 11:08 | 知的生活
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