シンガーソングライター&プロデューサーによるblog


by ontan

木久蔵というカオス

「笑点」はメンバー総入れ替えが必要か


興味深い問題だ。近年はスカパー!しか観ない僕だが、「円楽倒れる」のニュースを聞き、久々に「笑点」にチャンネルを合わせた。僕の目に飛び込んで来た映像は、まだ円楽の倒れる前に収録されたものだった。こん平の不在を除き、エバーグリーンの永遠なるマンネリの世界は、相変わらず健在だった。


「笑い」というのは不思議なもので、「お約束のギャグ」のような予定調和的なものも、「意表を付いた展開」であるハプニング的なものもある。ある程度のマンネリと少しの新しい血という形が理想だと思う。部分的な入れ替えでもいいんじゃないかな? もしくは現メンバーと新メンバーの混在持ち回り制とか。


でもひとつの懸念。いつの日か大喜利にテロップが入ったりしないよね。あれがイヤで地上波観なくなったんだからさ。


僕が「笑点」メンバーの中で一番好きなのは木久蔵だ。一時期は政治的アイロニーを駆使する知的な歌丸的手法に惹かれた時期もあった。まともに受け答えすらできない木久蔵はアホなんじゃないかって思った。でも、ある日気がついた。木久蔵のあの存在そのものがひとつの表現なんだ。いつしかあの大喜利という「場」そのものを破壊してしまうほどのカオスを持った彼に僕はロックを見るようになった。あれだけの「枠」にはめられた大喜利というシステムの中で決して枠の中に完結しない木久蔵。


でも、もしかしたらそんな木久蔵の存在も「いつものメンバー」があってこそなのかもしれない。モダンがあってこそのポストモダンであるように、秩序あってこその渾沌なのかもしれない。もし「笑点」メンバーが入れ替わってそこに渾沌しか残らなくなった時はモダンの終焉の時であり、反体制のロックの意味が失われる時なのだ。おそらく。

そんな時代にむかって、僕はどんな歌を響かせることができるのだろう?

[PR]
by ontan | 2005-10-20 12:21 | 主張