シンガーソングライター&プロデューサーによるblog


by ontan

流すべきは血でなくて汗だ

仏暴動、パリ中心部にも 学校、車両への放火続く


今回のフランスの暴動の背景には移民の問題もあるのだろう。


パリは依然燃えている!仏の暴動拡大、背景に貧困・失業問題



>暴動が集中しているのはパリ郊外、アルジェリアやモロッコなどアフリカ北部からの移民とその子供、イスラム教徒などが多い地域。低所得層用の集合住宅が密集しており、他地域より失業や貧困、犯罪発生などが深刻で、人種差別への反発も強い。


<仏暴動>移民若年層、差別に怒り 疎外感が過激化招く


>暴動がこれほどまでに拡大した背景には、治安維持を優先するサルコジ内相の強硬路線に対する反発だけでなく、就職、家探しなど日々の暮らしの中で移民が直面する差別への怒りがある。さらに、仏社会に溶け込めない一部移民は大都市郊外などで一種の「ゲットー」を形成しており、社会からの疎外感が若者の過激化を招いている。

このニュースはあまり日本では大きく扱われていないけれど、かなり大事な問題ではないだろうか? グローバル化が進む今、島国日本だって移民や外国人滞在の問題については対岸の火事ではない。「受け入れる、受け入れない」については意見の相違はあって当然だが、それぞれが相当に「覚悟」をもって考えなければいけないはずだ。



カントは晩年の著書「永遠平和のために」の中で「永遠平和のための第三確定条項」として人間は世界市民として、どの外国でも訪問する権利を持つとした。ただし「滞在」については、その地の住民(国家)による好意的な申し出(契約)が必要であるともした。



1795年にカントによってなされたこの主張に対して、グローバル化の進む現代に即して「滞在権をも認めるべき」とする意見も最近では見受けられるようになった。また、カント自身の唱えた「道徳は、無条件で命令する諸法則の総体」という考え方を使い「好悪に左右されず無条件に、どんな他者に対しても滞在を認めるべきだ」とするかなり過激な意見も見受けられる。



僕はふと思った。道徳の哲学者たるカントがそもそもどうして、「滞在」については容易に認めなかったのだろうと。「道徳と政治は別だから」という理由でないことは、カント自身が同書の中で「政治と道徳の一致」を目指していることからも明らかだ。だとすれば、カントの道徳的な感覚を介してもなお、「滞在」は別個の問題とせざるをえなかったのだろう。



僕自身はどちらかと言えば、グローバリズムの影響による「無条件に滞在を認めよう」とする立場よりも、カントの立場の方に共感する。「滞在」は特別なことなのだ。やはり「滞在」ということになれば、自ずと衝突は起こってくるものだと思う。そしてそれは各々の民族や文化の相違による「道徳」の違いを原因とすることも多いだろう。僕はカントのような「普遍的な道徳法則」ということはあまり信じていない。やはり民族や文化によって道徳には違いがあると思う。けれども、だからこそ結論はカントと同様に「滞在」については別とするべきだと思うのだ。


全く文化や歴史、生育環境の異なる者同士が共に生きるには、相当の覚悟が必要なはずだ。安易に滞在を認めることは無駄な衝突や紛争を起こす可能性も多い。これは将来的に「国民国家」という概念がたとえ無効となったとしても、異なるコミュニティーの人間と人間が出会った時には必ず起こりうる問題だ。また無条件に滞在を認めることは時に「強いものが勝つ」「図々しいものが得をする」ということにもなりかねない。「滞在は別」としたカントはその理性に従ってか、適正な部分に「歯止め」を打ち込んでおいてくれたと思う。


移民の問題は様々な側面を持つと思うが、安易に「労働賃金が安くすむから」などというような理由で、受け入れて、その後の生活は保障しないというのは、他者を受け入れるということについての「覚悟が足りない」と思う。受け入れるならば本気で考え、彼らのために尽力すべきだ。流すべきは血でなくて汗だ。それができないなら、むしろ、受け入れるなとさえ思った。

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by ontan | 2005-11-06 15:12 | 主張