シンガーソングライター&プロデューサーによるblog


by ontan

blog私論

久々にニュースと関係なく語ろう。


blogは面白いメディアだと思うんだよね。いろいろと期待する部分もあるんだけど、でも「これでいいのか?」と思うこともある。


とりあえず当初はあまり深く考えずにexciteを選んだのだが、ニュースにトラックバックを打てるのは面白い。というかこういうのはポータルでなく新聞社のサイトそのものがやってもいいんじゃないかとも思う。しかし反面、トラックバックされているエントリーも玉石混交だよなー。


これまでの僕が読んでみてイマイチ納得いかなかったエントリーは例えば、


1、単純な反応一言だけ
 (「すげえ」「許せない」とかだけで終わるもの)
2、ありがちな反応をありがちな言葉で語るだけ
 (「甘い!」「努力しろ!」)
…などかな?



1のように特に自分なりの言葉も視点も持たずに、こういう記事を書いている人達が、わざわざポータルサイトにトラックバックする意味って何なのだろう? そんなふうに思っていた。そういうblogに限って「アクセスランキングに参加してますのでクリックよろしく!」とか書いてあって、ああやっぱりblogってメディアには発展性がないのかなあ?と悲しい気持ちにもなったりもした。


2の人達については「ズバズバと世間を切っているぜ!」と自信満々だったりする人もいて読んでいて、萎える体験を何度もした。独自の視点から切っているなら読む方としても勉強になってよいのだが、あまりにステレオタイプなことしか書いてないものは読んでも時間の無駄と感じた。「批判的立場からの論」と言えば聞こえはいいが、要するにワイドショー主婦や酔っぱらいオヤジのひまつぶしレベルで、結局テレビのキャスターの劣化コピーに過ぎないと感じることが多かった。また、こういうblogってとてもネガティブなオーラが出ていることが多くてなるべく触れたくないとさえ思わされた。とにかく、こんなことではblogというメディアは時代遅れになりつつある地上波のTVさえ超えられないじゃないか、そんな気持ちにもさせられていた。


しかし最近『web進化論』(梅田望夫・ちくま新書)を読んでいて、「ブログの語源はweblogで"ネット上で面白かった記事にリンクを張りつつ、その感想を記録する"もの」との記述を見て、多少、納得した。例えばある特定のニュースに対してどのような反応が多かったかを調査するのであれば、各々の「石」に内容を深く掘り下げてもらう必要はない。むしろ単純なyes・noだけが簡潔に記されている方が調査の手間を省くことができる。つまり「量的」な調査のためには、膨大な「石」のblogは存在意義がある。「質的」な分析まで踏み込める一部の「玉」なblogがあれば、後は「石」でも問題はないのかもしれない。僕が上に記した2つのタイプのものが、そもそものblogの形だったなら、これでいいのだろう。


最近僕が沈黙したり、日本と外国の区別がつかない程に発狂して愚なる者をやってみたりしていたのも、blogの将来性ということをあれこれ考えてしまったからという理由もある。


まあ、いいや、この問題はここらまでにしておこう。突き詰めて考えると日本人の国民性とか学校教育とかにも行きついてしまう。よく考えてみれば現代の日本で誰もが独自の視点で面白い文章が書けるわけではない。大学入試の小論文、いや、小学校の作文でさえ「書けませーん」という人がむしろ普通なんだよな。


でも、僕はせっかくのひとつひとつの人間の営みをありがちな「石」にしたくはないんだよ。もっとよく見て、よく考えて、上手に切り取ってみたいと思っている。というわけで時々、気分転換に発狂するかもしれないけど、今後ともよろしく。

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by ontan | 2006-06-02 04:11 | パソコン・ネット