シンガーソングライター&プロデューサーによるblog


by ontan

カテゴリ:主張( 30 )

僕自身も以前は「何でもこれ1台で出来る!」なんて言われると便利なような気になっていたが、何度かパソコンの故障などのトラブルに遭遇し、逆にその不便さを感じるようになった。復数台に分散させたり、時にはアナログなものにも頼っておくのも大事だろう。


銀行からのCD-ROMと偽って、プログラムをインストールさせて、インターネット・バンキング経由で勝手に送金させる事件が起こっている。


<千葉銀行>CD—ROMで勝手に数百万円が送金される

<偽CD−ROM>北陸銀行名でも送付


インターネットやパソコンへの依存度が高まっている今の時代には、家宅侵入以上に恐い事件だ。「何でもパソコンで」ということは便利なのだが、逆にそこを狙われたら容易に全財産(お金も情報も人脈をも)を失いかねない。今僕は「家宅侵入」という言葉を使ったが、まさにパソコンは家の機能そのものとなりつつあるのかもしれない。


そう思ってみるとウィルスの巣ともなりそうな、ソニーの「コピー制限機能付き音楽CD」というのは、かなり厄介な代物だ。


ソニーの音楽CD、ウイルスに悪用される恐れ


これって音楽を口実に家の中に勝手に入ってきて病原体を置いてくるようなものだよね。かなりデリカシーのないものだと思う。銀行を偽ったCD-ROMの事件など起こっている今、もうこんな怪しいCDを自分のパソコンに入れるくらいなら、「iTunes Music Store」などで買った方がいいと思うユーザーが増えていくだろう。僕も自らのサイトで自分の曲を配信しているが、明らかに音楽の流通の仕方が変わりつつある時代なんだと思う。この時代に今回のこのような怪しいCDまで出して古い形に固執するような行為をする企業は、少なくともお客の方を向いている企業ではないんだなと思った。

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by ontan | 2005-11-03 09:42 | 主張
アイガモが陽性反応 大阪、インフルエンザ


環境にも優しく可愛らしいアイガモ農法は僕もテレビなどで見て知っていたが、このアイガモは食肉用らしい。皇居のお堀のカモはまた違う種類だっけ?


鳥インフルエンザのせいで、たくさんのニワトリが「処分」となった記憶も新しい。あの大量のニワトリが殺されていく映像を見て、なんだか可哀想な気持ちになった。いや、確かに生きていたとしても人間に食われたりするんだろうけど、志し半ば(?)で袋詰めにされて生き埋めにされるのを見るのは心が痛む。(絶対に昔のウルトラマンだったらこいつらは怪獣化するだろうと確信した。)


こうするより他に方法がないんだろうな…。そんなことを思っていたら昨日、ちょうどスカパーで「帰ってきたウルトラマン」の再放送でバリケーンという怪獣の回が放映されていた。脚本は実相寺昭雄。台風が変異して生まれたような怪獣(見た目はクラゲ)の回なのだが、郷秀樹(帰マン)はこの回に限って頻りに「自然の出来事は自然に任せればいい」「人間の尺度で測ってはいけない、自然は偉大だ」「新しい自然の姿」と妙に哲学的なことを言う。(確かにこの怪獣のおかげで、東京の光化学スモッグが無くなった。)郷に対してMAT隊長伊吹は「変わっていく自然にも対処しなければならない」と郷を諭す。


結局この台風怪獣は都会を嵐に叩き込むが、ウルトラマンが自らクルクル回転して吸い寄せて宇宙へポイする荒技によって退治されてしまう。この話のラストシーンは「東京一帯にスモッグ注意報が出た」という知らせを受けた岸田、郷両隊員のやりとりで終わる。


岸田「怪獣去ってまた一難か」
郷「今度は自然の力じゃありませんよ」


鳥インフルエンザが新たな自然現象であるとすれば、われわれは「変わっていく自然にも対処しなければならない」のだろう。それじゃあ、もしかして今度はカモを埋めることになるのか? で、さらに次には何を埋めるのだろう? そうしていって最後に埋められるのはいったい何だろう? なんて考えていたらえも言われぬ恐怖感に捉えられた。もしかして郷の言うように「自然の出来事は自然に任せればいい」のかもしれない。でも、そうしたら逆に淘汰されてしまうのは人間の方かもしれない。


…とにかく共生の象徴のようなアイガモを人間様が生き埋めにすることになったりしたら、そんなシーンは皮肉極まりないよなあ。

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by ontan | 2005-11-01 02:23 | 主張
「ハロウィンは死んだ」フランス、反アメリカの潮流



>ハロウィンは古代ケルトのお祭りとも、アメリカの商業主義イベントとも言われる行事。フランスではごくわずかのあいだ流行したが、現在は死に絶えつつあるようだ。
「ハロウィンはほとんど死んでいる」と、『ル・モンド』紙は、コスチューム会社セザールの社長ブノワ・プセの発言を引用して報じた。彼はハロウィンの死を「反アメリカ主義の上昇に関連する文化的リアクション」によるものだとしている。
おもちゃ小売業ラ・グランデ・レクレ社のフランク・マタイスは、「2002年以来、私たちのハロウィン関連セールスは毎年半分になっています」と語った。
ハロウィンを商業主義的な好ましくない侵入行為とみなして反対する「ノン・ア・ハロウィン」と名乗る団体は、昨年その活動を終えた。


このニュースを見て去年書いた記事を思い出したので、追記して再びエントリー。



僕の周り(日本)では、だいぶハロウィンも定着して来たようで、盛んにパーティーなども行なわれているようだ。上手に地域振興などに結び付けて、まさに僕が下記に記したような”本質を骨抜きにした「日本版ハロウィン」”が展開されているなと思う。日本人は器用だ。



僕自身の気持ちは結構、このフランスの方々と一致している。僕は日本にハロウィンは不要と考えている。でも日本のハロウィンは最初から「別物として生きている」るんだろうな。そして、和魂洋才な我々はフランスの方々のようにアンチの動きをすることもないんだろう。

で、以下が去年書いた記事。

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クリスマスやバレンタインデーやら異国の祭りを取り入れるのが得意な日本人だが、ここ最近はハロウィンを定着させようとマスコミやメーカーなども力を入れているようだが、正直言って僕はなんか恐い。


まず「ハロウィン」自体が狂気とか死の雰囲気を持っているカオスな祭りであるということ。そもそも祭りというのは「日常の秩序をいったん破壊することで秩序を再認識させる」という側面を持つことはよく言われるのだが、ハロウィンは特にそういう側面を強く持つ祭りであるようだ。(死者の霊が家族を訪ねるというような部分は日本の御盆と対応させると確かに理解しやすい。)


しかし、僕のなんかしっくり来ないところというのは、ここで「いったん破壊」されようとしているものは、正統的なキリスト教の秩序であって、それを日本でやるのは違うんじゃないのかということだ。


クリスマスやバレンタインデーのような破壊・解体色のさほど強くない祭りならば、日本の文化の上に、プラスアルファして積み上げていけばいいのだが(これは日本人にとって十八番)、日本におけるハロウィンはいったい何を「いったん破壊」しようとしているのか、よく解らない。魔女とかゴブリンとか言われても知らん。普段禁忌として封じ込めていたものが現れるのではなく、意味不明なものが急に出現するだけだ。あんな見も知らぬカボチャのお化けに大きな顔させるくらいなら、水木しげる先生の御指導のもとに日本の妖怪達でも解放させてやればいいのに。(生ハゲ集団になって海外の一般家庭に乱入するのもいいかな?)


ま、どうせうまいこと本質を骨抜きにした「日本版ハロウィン」が他の外来行事と同様に出来上がってくるのだろうから、僕が熱くなる必要はないいだろう。ただこのグローバルな時代、こんな事だって起こってくる。



<ハロウィーン>仮装450人が3両占拠 JR大阪環状線


>29日夜、JR大阪環状線の電車にハロウィーン(今月31日)の仮装をした外国人ら約450人が乗り込み、大阪環状線は最大約8分の遅れが生じた。
>インターネットなどでの呼びかけで集まった一団とみられ、3〜5両目を占拠し、その車両には2時間以上一般の乗客が乗れなかったという。(中略)
>一団は駅で停車する度にホームに降りて騒ぎ、電車内でも騒いでいた。



この人達ってオリジナルなハロウィンそのままに秩序を破壊したわけだ。日本人はよくわからんまま、オロオロして困っているだけ。とても面白いニュースだと思う。


ハロウィンって恐いと思うんだけどなあ。アメリカでは射殺事件が起こったりもしたじゃない? もちろん銃の問題もあるけど、渾沌が生まれる所では人の死だって起こりやすいんだよ。僕の幼い頃には「さすがに日本ではそれはないだろう」なんて言葉がよく使われたけれど、もう最近ではそういう言葉も、もはや通じない時代になってきたじゃない?


僕は混沌っていうものには、かなりドキドキしてしまう。多分そういう要素にリンクできてしまう精神構造を持っているからなんだと思うけど、だからこそ恐かったりするんだよ。初期の村上龍の作品のように町が混沌と恐怖と狂気の中に叩きこまれていく様が目に浮かんで来てしまうのだ。



ハロウィン恐いよぉー!


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*それにしても、他のブログではキチンと論じている人が意外と少ない。読んで面白かったもの、読む価値あると思うものを選んで貼っておきます。


転ぶ賢者様

Pagan(異教徒)の説話

きょうのわたくし


**追記
「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ」の少年2人、撃たれる


イタリアでもハロウィンに関連した事件が起こりました。

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by ontan | 2005-10-30 11:15 | 主張

需要の作り方

男の色気アップ!? 飲食店用「ガテンタオル」


もはや「必要だから」という理由でモノを買う時代ではない。タオルなんか何かの景品でもらったり、100円ショップで買えるものであって、別にありがたくもなんともない。


「ホワイトバンド」なんかももしかしてそうなのかもしれないけど、たかが布切れ、ゴムの輪っかを売るには、「差異化」が必要となってくる。そこに人を燃えさせる何かがなければ、この時代そう簡単にモノは売れない。


より格好いいストーリー、グッとくる何か。人はそうしたものを欲している。このタオルを考えた(というか思いついた)人は解ってるなあ。特に誰を傷つけるわけでもなく、むしろ、たこやき屋のおっさん達の格好良さのポイントをうまいこと提示してくれて、センスいいなと思うよ。(「日常の中にある歌を見つける」っていう某シンガーソングライターさんにも通じるかな?)


そんなことを考えていると、「より格好いいストーリー、グッとくる何か」ってことに敏感な小泉が選挙であれだけ、圧勝したのも納得だ。(こちらの方については誰かを傷つける可能性があることなのだが。)

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by ontan | 2005-10-28 10:56 | 主張

他人事ではないよ!

<タクシー運転手>3割が不調でも業務


誰だって体調が悪ければ休みたい。法律を犯すこともしたくない。



>運転手が無理をする要因は、02年2月から実施された規制緩和による台数増加や長引く不況による利用者の減少によって、過当競争が激化していることが背景にある。



切ないことだ。でもこれはタクシー運転手に限ったことではなく、「金を稼ぐ」ということになると人は時にそういった行動に出るものだ。さらに経済的に切羽詰まっていなくても「上司に言われたから」「会社ではそれが普通だから」という理由で、社会的にも、道徳的にも許されないことを人はやってしまう。(例えば雪印の事件みたいに。)



キリスト教の文化の国のように天上に「GOD」を持たないわれわれ日本人には、かつて「人様に恥じぬように」という言葉があったが、もはやそんな言葉も絶滅しようとしている。


このニュースは他人事ではないよ。いつ自分だって「仕事のために」やってはならないことをやってしまうかもしれない。その時にはっきりとnoと言える人が、今この国にどれくらいいるのだろうか?

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by ontan | 2005-10-27 14:30 | 主張

幻想から目覚めぬ地球人

アルファベットの「W」「Q」使用のクルド人に罰金 トルコ


未だに国家、権力は「言語の統一」ということを行なおうとしている。近代国民国家は「一国家=一民族=一言語」を理想の形とし、数々の悲劇を歴史に刻み込んできた。グローバル化が叫ばれる現在、旧来の形の近代国民国家を乗り越えようとする動きがある一方で、こうした反動的な動きも生じている。国境という本来の自然には引かれていない線を巡って、二十世紀は数々の戦争が行なわれた。また国境という線に保護されない民族は苦難に見舞われることとなった。未だに繰り返されている二十世紀型の「言語の統一」に近代国民国家の根深さが見える。地球人はまだ二十世紀の幻想から覚めていないようだ。


東洋と西洋の文明の十字路に位置するトルコは、東洋と西洋の衝突によって幕が開いた二十一世紀の鍵を握る存在になりうる国であるはずだ。QだのWだの言ってる場合じゃない。

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by ontan | 2005-10-26 10:46 | 主張

こんな時代だから

<ホワイトバンド>趣旨説明不足で購入者から批判


僕の周りでもホワイトバンドを付けているものが目に付くが、その細かい趣旨を理解している人間は意外と少ないと思う。「世界のためになるらしい」というのは動機としてない訳では無いが、「スタイリッシュで格好いい、有名人も付けているし、流行っているし」といった動機も大きいのだろう。とにかく単純に燃えさせる何かがあったのだ。


でもね、どんな動機であれ、若者を「貧困根絶」ということに目をむけさせたという点ではホワイトバンドはうまいと思う。昔ながらの赤い羽根ではこうはいかないだろう。


資本主義の時代、消費社会の時代、長いものにまかれるのが好きなお国柄、政治への無関心。いろいろなことを考慮すれば、ホワイトバンドのような戦略をもって、「いいこと」をするのは正しいと思う。ただその肝心の「いいこと」の詰めが甘かったのと、イメージ先行が今回の批判となったのかもしれない。(騙そうとしたわけでないと思いたい。)


>8月に購入した千葉県柏市の女子大生(22)は「募金にならないなんて知らなかった」と話す。


自分の金を出すなら、もっとよく調べてから出さないといかんよね。スキあり!


僕自身はこういう活動は好みじゃないので、買ってません。(そもそも募金、チャリティー自体にあまり積極的ではない人間です。)

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by ontan | 2005-10-24 11:21 | 主張

木久蔵というカオス

「笑点」はメンバー総入れ替えが必要か


興味深い問題だ。近年はスカパー!しか観ない僕だが、「円楽倒れる」のニュースを聞き、久々に「笑点」にチャンネルを合わせた。僕の目に飛び込んで来た映像は、まだ円楽の倒れる前に収録されたものだった。こん平の不在を除き、エバーグリーンの永遠なるマンネリの世界は、相変わらず健在だった。


「笑い」というのは不思議なもので、「お約束のギャグ」のような予定調和的なものも、「意表を付いた展開」であるハプニング的なものもある。ある程度のマンネリと少しの新しい血という形が理想だと思う。部分的な入れ替えでもいいんじゃないかな? もしくは現メンバーと新メンバーの混在持ち回り制とか。


でもひとつの懸念。いつの日か大喜利にテロップが入ったりしないよね。あれがイヤで地上波観なくなったんだからさ。


僕が「笑点」メンバーの中で一番好きなのは木久蔵だ。一時期は政治的アイロニーを駆使する知的な歌丸的手法に惹かれた時期もあった。まともに受け答えすらできない木久蔵はアホなんじゃないかって思った。でも、ある日気がついた。木久蔵のあの存在そのものがひとつの表現なんだ。いつしかあの大喜利という「場」そのものを破壊してしまうほどのカオスを持った彼に僕はロックを見るようになった。あれだけの「枠」にはめられた大喜利というシステムの中で決して枠の中に完結しない木久蔵。


でも、もしかしたらそんな木久蔵の存在も「いつものメンバー」があってこそなのかもしれない。モダンがあってこそのポストモダンであるように、秩序あってこその渾沌なのかもしれない。もし「笑点」メンバーが入れ替わってそこに渾沌しか残らなくなった時はモダンの終焉の時であり、反体制のロックの意味が失われる時なのだ。おそらく。

そんな時代にむかって、僕はどんな歌を響かせることができるのだろう?

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by ontan | 2005-10-20 12:21 | 主張

エキサイティングな感覚

<生涯学習>実践している人は5割に達せず


「生涯学習」とか言うと大袈裟だけど、勉強するのは面白い。そんなことを言いつつも学校の教室では僕は極めて授業態度のよくない人間だった。今、自分が教える仕事やったりするようになってみると学校の先生方ってのは授業下手だったなと感じる。古文漢文や小説、評論はもちろんだが、世界史や日本史などあんな面白いものを、よくぞあれだけつまらなく教えることができるよな。昔から僕は面白いもの、ワクワクするものじゃないと興味が湧かない人間だったけれど、僕の出会った学校の先生方にはそういう「燃えさせる」何かが根本的にかけていたと思う。(授業テクニック的には、子供をそこまで到らせるためにはいろいろな「過程」が必要なんだけどね。)





>この1年間で生涯学習を実際に行っているか聞いたところ「特にしていない」人が51.5%いた。理由(複数回答)は「仕事や家事が忙しくて時間がない」(53.4%)、「きっかけがつかめない」(15.6%)、「特に必要がない」(14.5%)、「面倒だ」(13.2%)などの順だった。


「学習」というと、なんとなく「義務」「克己」というイメージがあるのかな? 別に堅苦しく考えず遊び感覚で好きな本を読むというようなことでいいじゃないかと思う。楽しいことやワクワクすることだったら、人は結構忙しくても時間を割くものだと思う。



>生涯学習の機会についての要望(複数回答)では「都道府県や市町村など自治体の講座や教室を充実する」が37.9%でトップ。「パソコン、インターネットを活用した学習機会を充実する」(21.2%)が続き、「自然体験や生活体験などの体験活動の機会を充実する」(20.4%)が上位を占めた。



生真面目で権威主義的、型にはめられると安心する日本人の民族性がよく出てるなと思う。僕はあんまり堅苦しいのはイヤだな。最近の僕のいろいろなことについての価値基準で気になっていることは「燃えさせるもの」「ワクワクするもの」ということ。生真面目にやることも大事だけど、人を動かす「動機」となるものは、そういうエキサイトな感覚だという気がする。それは「知的生活」においても、「ミュージシャン」としても、「プロデューサー」としても、同じだと思う。そうか、だから僕は「エキサイト」でブログをやっているんだな。

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by ontan | 2005-07-31 11:40 | 主張

ヒーロー

ファンも待ってる 原氏監督就任最終会談




団塊ジュニア世代の僕らの少年時代のヒーローを思い起こせば、今となってはパッとしないものばかり。ウルトラマンは「ザ・ウルトラマン」「ウルトラマン80」など。仮面ライダーは「スカイライダー」「スーパー1」。それ以前の黄金期と比べても今の平成ウルトラやライダーの盛り上がりに比べてもイマイチ存在感がない。残念ながら僕らの世代は「ウルトラマン」も「仮面ライダー」もオリジナルに間に合わなかった。リバイバルで復刻された「ウルトラ」や「ライダー」をそれでも僕らは応援して熱くなって見ていた。考えてみたら、当時の子供番組って復刻モノや名作の続編が多かった。(アトムや鉄人28号、タイガーマスク2世なんてのもあった。)そして、今思えば、残念ながら多くのものがオリジナルを超えられないものだったみたいだ。


そんな僕らの世代にとっての数少ないオリジナルなヒーローの一人だったのが「原辰徳」だったんじゃないかな? 野球を観はじめるのが遅かった僕は、小学校3年生ぐらいからやっとプロ野球中継を観るようになった。新人の「5番サード原」はとてもわかりやすい格好いいお兄さんだった。僕にとって王さんは求道的な伝説の人で、長嶋についてはオッサン達が褒めそやすだけでまったく良さが解らなかった。そんな少年時代の僕の心をつかんだ「原辰徳」は4番サードになって主砲となった頃には、僕らの世代のヒーロー達に共通する「イマイチパッとしない」所を見事に発揮してもくれた。「なんでそこでダブルプレイなんだよ!おい!」と何度もテレビの前で叫んだ。時々は「中畑の方が頼りになるじゃん」とか失礼なことも思った。


そんな僕らの裏切りのせいか、ふと気がついた頃には「原辰徳」は悲愴感と気迫を兼ね備えたヒーローへと変貌していた。日本シリーズでの満塁号泣弾。あの頃から何かが変わった。団塊ジュニアの僕がようやく受験戦争をくぐり抜けて、大学1年生の頃にバイトの最中に付けっぱなしのテレビで観た「バット投げっぱなしホームラン!!」は今思い出しても鳥肌が立つ。


そんな原が引退し、しばらくしてから監督就任となったニュースを聞いた時、僕はネクタイを締めて高円寺の飲み屋で年の近い同僚と語っていた。「原が監督かあ、なんか感慨深いよねえ」と興奮気味に語る僕らの前では、やはり上司のオッサンが「長嶋がいかに偉大だったか」を僕らに語ってきかせていた。


そして突然の辞任。社会人経験も長くなって来てやっと社会ってやつの仕組みが解ってきた頃に訪れたニュースだった。揺るがない仕組み、既得権、古い常識…。いろいろな言葉が頭に浮かび、自分の日常とダブっていく。もう野球なんか観ても面白いわけがない。


所詮、僕らの世代にとっての野球っていうのもオッサン達のお古をあてがわれていただけだったのかもな。僕らのヒーローがあれだけ好きに弄ばれてしまうんだもんな。今思えば、ホリエモンが現れた時に燃えたのも、野球を盛り上げてくれると思ったからでなく、なんかぶち壊してくれそうな雰囲気があったからなのかもしれない。そんな僕は原が復帰したら野球観るのかな? 最近じゃ野球といえば『スカパー!』で「がんばれ!レッドビキーズ」の再放送を観るくらいだよ。(あ、団塊ジュニアにとってのビッキーズは「それゆけ!」の方だったりもするんだけどね。)


とはいえちょっと原監督を期待する自分もいる。だからこんなこと書いてんだきっと。

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by ontan | 2005-07-21 03:26 | 主張