シンガーソングライター&プロデューサーによるblog


by ontan

<   2005年 10月 ( 10 )   > この月の画像一覧

「ハロウィンは死んだ」フランス、反アメリカの潮流



>ハロウィンは古代ケルトのお祭りとも、アメリカの商業主義イベントとも言われる行事。フランスではごくわずかのあいだ流行したが、現在は死に絶えつつあるようだ。
「ハロウィンはほとんど死んでいる」と、『ル・モンド』紙は、コスチューム会社セザールの社長ブノワ・プセの発言を引用して報じた。彼はハロウィンの死を「反アメリカ主義の上昇に関連する文化的リアクション」によるものだとしている。
おもちゃ小売業ラ・グランデ・レクレ社のフランク・マタイスは、「2002年以来、私たちのハロウィン関連セールスは毎年半分になっています」と語った。
ハロウィンを商業主義的な好ましくない侵入行為とみなして反対する「ノン・ア・ハロウィン」と名乗る団体は、昨年その活動を終えた。


このニュースを見て去年書いた記事を思い出したので、追記して再びエントリー。



僕の周り(日本)では、だいぶハロウィンも定着して来たようで、盛んにパーティーなども行なわれているようだ。上手に地域振興などに結び付けて、まさに僕が下記に記したような”本質を骨抜きにした「日本版ハロウィン」”が展開されているなと思う。日本人は器用だ。



僕自身の気持ちは結構、このフランスの方々と一致している。僕は日本にハロウィンは不要と考えている。でも日本のハロウィンは最初から「別物として生きている」るんだろうな。そして、和魂洋才な我々はフランスの方々のようにアンチの動きをすることもないんだろう。

で、以下が去年書いた記事。

-----------------------------------------
クリスマスやバレンタインデーやら異国の祭りを取り入れるのが得意な日本人だが、ここ最近はハロウィンを定着させようとマスコミやメーカーなども力を入れているようだが、正直言って僕はなんか恐い。


まず「ハロウィン」自体が狂気とか死の雰囲気を持っているカオスな祭りであるということ。そもそも祭りというのは「日常の秩序をいったん破壊することで秩序を再認識させる」という側面を持つことはよく言われるのだが、ハロウィンは特にそういう側面を強く持つ祭りであるようだ。(死者の霊が家族を訪ねるというような部分は日本の御盆と対応させると確かに理解しやすい。)


しかし、僕のなんかしっくり来ないところというのは、ここで「いったん破壊」されようとしているものは、正統的なキリスト教の秩序であって、それを日本でやるのは違うんじゃないのかということだ。


クリスマスやバレンタインデーのような破壊・解体色のさほど強くない祭りならば、日本の文化の上に、プラスアルファして積み上げていけばいいのだが(これは日本人にとって十八番)、日本におけるハロウィンはいったい何を「いったん破壊」しようとしているのか、よく解らない。魔女とかゴブリンとか言われても知らん。普段禁忌として封じ込めていたものが現れるのではなく、意味不明なものが急に出現するだけだ。あんな見も知らぬカボチャのお化けに大きな顔させるくらいなら、水木しげる先生の御指導のもとに日本の妖怪達でも解放させてやればいいのに。(生ハゲ集団になって海外の一般家庭に乱入するのもいいかな?)


ま、どうせうまいこと本質を骨抜きにした「日本版ハロウィン」が他の外来行事と同様に出来上がってくるのだろうから、僕が熱くなる必要はないいだろう。ただこのグローバルな時代、こんな事だって起こってくる。



<ハロウィーン>仮装450人が3両占拠 JR大阪環状線


>29日夜、JR大阪環状線の電車にハロウィーン(今月31日)の仮装をした外国人ら約450人が乗り込み、大阪環状線は最大約8分の遅れが生じた。
>インターネットなどでの呼びかけで集まった一団とみられ、3〜5両目を占拠し、その車両には2時間以上一般の乗客が乗れなかったという。(中略)
>一団は駅で停車する度にホームに降りて騒ぎ、電車内でも騒いでいた。



この人達ってオリジナルなハロウィンそのままに秩序を破壊したわけだ。日本人はよくわからんまま、オロオロして困っているだけ。とても面白いニュースだと思う。


ハロウィンって恐いと思うんだけどなあ。アメリカでは射殺事件が起こったりもしたじゃない? もちろん銃の問題もあるけど、渾沌が生まれる所では人の死だって起こりやすいんだよ。僕の幼い頃には「さすがに日本ではそれはないだろう」なんて言葉がよく使われたけれど、もう最近ではそういう言葉も、もはや通じない時代になってきたじゃない?


僕は混沌っていうものには、かなりドキドキしてしまう。多分そういう要素にリンクできてしまう精神構造を持っているからなんだと思うけど、だからこそ恐かったりするんだよ。初期の村上龍の作品のように町が混沌と恐怖と狂気の中に叩きこまれていく様が目に浮かんで来てしまうのだ。



ハロウィン恐いよぉー!


------------------------
*それにしても、他のブログではキチンと論じている人が意外と少ない。読んで面白かったもの、読む価値あると思うものを選んで貼っておきます。


転ぶ賢者様

Pagan(異教徒)の説話

きょうのわたくし


**追記
「お菓子をくれなきゃ悪戯するぞ」の少年2人、撃たれる


イタリアでもハロウィンに関連した事件が起こりました。

[PR]
by ontan | 2005-10-30 11:15 | 主張

付いて来てる?

なんか怒濤の更新をしているけど、結構この感じいいなあ。ようやく世間で言うブログっぽくなったかな?「ホームページ」と「ブログ」のこういう住み分けはありかなと思う。少なくとも自分はかなり快適に更新できる。ニュースであれこれ語るのも楽しい。


トラックバックしてくれている人結構いるんだけど、このブログへのリンクはしないんだな。トラックバックってこういうんでいいのかあ? まあいいや。


ところで急に更新ペースあげたけど、みんな付いて来てるのか?

[PR]
by ontan | 2005-10-29 02:04 | 雑記

需要の作り方

男の色気アップ!? 飲食店用「ガテンタオル」


もはや「必要だから」という理由でモノを買う時代ではない。タオルなんか何かの景品でもらったり、100円ショップで買えるものであって、別にありがたくもなんともない。


「ホワイトバンド」なんかももしかしてそうなのかもしれないけど、たかが布切れ、ゴムの輪っかを売るには、「差異化」が必要となってくる。そこに人を燃えさせる何かがなければ、この時代そう簡単にモノは売れない。


より格好いいストーリー、グッとくる何か。人はそうしたものを欲している。このタオルを考えた(というか思いついた)人は解ってるなあ。特に誰を傷つけるわけでもなく、むしろ、たこやき屋のおっさん達の格好良さのポイントをうまいこと提示してくれて、センスいいなと思うよ。(「日常の中にある歌を見つける」っていう某シンガーソングライターさんにも通じるかな?)


そんなことを考えていると、「より格好いいストーリー、グッとくる何か」ってことに敏感な小泉が選挙であれだけ、圧勝したのも納得だ。(こちらの方については誰かを傷つける可能性があることなのだが。)

[PR]
by ontan | 2005-10-28 10:56 | 主張

他人事ではないよ!

<タクシー運転手>3割が不調でも業務


誰だって体調が悪ければ休みたい。法律を犯すこともしたくない。



>運転手が無理をする要因は、02年2月から実施された規制緩和による台数増加や長引く不況による利用者の減少によって、過当競争が激化していることが背景にある。



切ないことだ。でもこれはタクシー運転手に限ったことではなく、「金を稼ぐ」ということになると人は時にそういった行動に出るものだ。さらに経済的に切羽詰まっていなくても「上司に言われたから」「会社ではそれが普通だから」という理由で、社会的にも、道徳的にも許されないことを人はやってしまう。(例えば雪印の事件みたいに。)



キリスト教の文化の国のように天上に「GOD」を持たないわれわれ日本人には、かつて「人様に恥じぬように」という言葉があったが、もはやそんな言葉も絶滅しようとしている。


このニュースは他人事ではないよ。いつ自分だって「仕事のために」やってはならないことをやってしまうかもしれない。その時にはっきりとnoと言える人が、今この国にどれくらいいるのだろうか?

[PR]
by ontan | 2005-10-27 14:30 | 主張

幻想から目覚めぬ地球人

アルファベットの「W」「Q」使用のクルド人に罰金 トルコ


未だに国家、権力は「言語の統一」ということを行なおうとしている。近代国民国家は「一国家=一民族=一言語」を理想の形とし、数々の悲劇を歴史に刻み込んできた。グローバル化が叫ばれる現在、旧来の形の近代国民国家を乗り越えようとする動きがある一方で、こうした反動的な動きも生じている。国境という本来の自然には引かれていない線を巡って、二十世紀は数々の戦争が行なわれた。また国境という線に保護されない民族は苦難に見舞われることとなった。未だに繰り返されている二十世紀型の「言語の統一」に近代国民国家の根深さが見える。地球人はまだ二十世紀の幻想から覚めていないようだ。


東洋と西洋の文明の十字路に位置するトルコは、東洋と西洋の衝突によって幕が開いた二十一世紀の鍵を握る存在になりうる国であるはずだ。QだのWだの言ってる場合じゃない。

[PR]
by ontan | 2005-10-26 10:46 | 主張

バンドブームの頃

SHOW−YA、14年ぶり再結成ライブ


岡村は逮捕されてしまったが、一方であの「SHOW−YA」が復活。バンドブーム世代としては、燃えるねえ。当時僕は尾崎派だったので、ややバンドブームからは距離を置いて見ていたけれど、年月が過ぎると、好き嫌いを越えて、心を動かされるものがあるなあ。


バンドブームの頃の思い出はかつてwebに綴ったことがあるが、当時は女の子バンドといえば「悪い子=SHOW−YA」「いい子=プリプリ」のコピーが相場だった。


今となってはここまでコテコテな「ロックバンド!」というバンドも珍しくなったな。いいじゃん!やっちまえ!

[PR]
by ontan | 2005-10-25 14:26 | 音楽

東京ドームの使い方

平井堅ライブはバー東京ドーム


こういう企画っていいよね。確かこの「Ken’s Bar」という企画は「楽園」のブレイク前から平井堅が細々と続けてきた企画だよね。その頃は本当に街のバーの片隅を借りてやっていたみたいだけれど、それを東京ドームでやるのって、格好いいなー。


僕も、もう無くなってしまった某六本木のお店の再現を、野外ステージを使ってやるという企画をやったことがあるけれど、ただ「出て来てうたいます」というライブでなくて、歌とともに空間を作っていくってのは素敵なことだ。


最近の街のライブハウスはどこもオールスタンディングで、ゆっくり落ち着いてくつろげる感じじゃない。ちっともお客さんのことを考えていない。有名な出演者が出ないからこそ、ゆったりくつろげる場にするべきなのにね。


同じ東京ドームでもアーティストによって様々な場を作ることができる。ローリングストーンズみたいに派手な演出をしてもいいし、長渕みたいに弾き語りしてもいい。だからアマチュア・インディーズのアーティスト達も、ただそこらにあるライブハウスで『与えられたチケットノルマをこなしてます』なんてことで終わっているだけじゃつまらないと思う。僕も、もっと頭と行動力を使っていろいろ動かしていきたい。


でも、これは、ライブだけじゃなくて、日々の仕事や暮らしにも当てはまるかもしれない。今そこにあるルーティンワークを打ち破っていろいろと発想していくところからきっと楽しいことは生まれてくるのだと思う。

[PR]
by ontan | 2005-10-25 12:01 | プロデューサー

こんな時代だから

<ホワイトバンド>趣旨説明不足で購入者から批判


僕の周りでもホワイトバンドを付けているものが目に付くが、その細かい趣旨を理解している人間は意外と少ないと思う。「世界のためになるらしい」というのは動機としてない訳では無いが、「スタイリッシュで格好いい、有名人も付けているし、流行っているし」といった動機も大きいのだろう。とにかく単純に燃えさせる何かがあったのだ。


でもね、どんな動機であれ、若者を「貧困根絶」ということに目をむけさせたという点ではホワイトバンドはうまいと思う。昔ながらの赤い羽根ではこうはいかないだろう。


資本主義の時代、消費社会の時代、長いものにまかれるのが好きなお国柄、政治への無関心。いろいろなことを考慮すれば、ホワイトバンドのような戦略をもって、「いいこと」をするのは正しいと思う。ただその肝心の「いいこと」の詰めが甘かったのと、イメージ先行が今回の批判となったのかもしれない。(騙そうとしたわけでないと思いたい。)


>8月に購入した千葉県柏市の女子大生(22)は「募金にならないなんて知らなかった」と話す。


自分の金を出すなら、もっとよく調べてから出さないといかんよね。スキあり!


僕自身はこういう活動は好みじゃないので、買ってません。(そもそも募金、チャリティー自体にあまり積極的ではない人間です。)

[PR]
by ontan | 2005-10-24 11:21 | 主張
〈ロックンロールな振る舞い〉をロック・バンドが教わる時代?


多かれ少なかれ「イメージ作り」ということはやらなければいけないだろう。時にはそれに長けたブレーンを傭うことも必要だろう。ビートルズだってブライアン・エプスタインの指示によって、服装を変えたり、イメージ戦略を行なっていた。

僕は様々なアマチュア・インディーズバンドのライブを見せてもらっているが、「キャラの立っていないバンド」「いまいち印象が薄いバンド」というのは、やはりつまらない。人に自分達のメッセージや世界に対しての姿勢をより効果的に伝えるためにロックバンドが努力するのはむしろ当然だ。アマチュア・インディーズのバンドでもいいライブをする人達って、ものすごくそういうことを意識しているよ。

>これを皮肉と考えるか、ロックの未来形だと捉えるか

むしろ古典的・基本的なことではないかな? でも裏事情のようなものが、こうやってネット上に載せられてあれこれ皮肉を言われるという点は未来的かもしれない。

この記事勉強になるけどなー。「おれプロ志向っす」と言う人ほど読むべき。

[PR]
by ontan | 2005-10-23 22:53 | 音楽

木久蔵というカオス

「笑点」はメンバー総入れ替えが必要か


興味深い問題だ。近年はスカパー!しか観ない僕だが、「円楽倒れる」のニュースを聞き、久々に「笑点」にチャンネルを合わせた。僕の目に飛び込んで来た映像は、まだ円楽の倒れる前に収録されたものだった。こん平の不在を除き、エバーグリーンの永遠なるマンネリの世界は、相変わらず健在だった。


「笑い」というのは不思議なもので、「お約束のギャグ」のような予定調和的なものも、「意表を付いた展開」であるハプニング的なものもある。ある程度のマンネリと少しの新しい血という形が理想だと思う。部分的な入れ替えでもいいんじゃないかな? もしくは現メンバーと新メンバーの混在持ち回り制とか。


でもひとつの懸念。いつの日か大喜利にテロップが入ったりしないよね。あれがイヤで地上波観なくなったんだからさ。


僕が「笑点」メンバーの中で一番好きなのは木久蔵だ。一時期は政治的アイロニーを駆使する知的な歌丸的手法に惹かれた時期もあった。まともに受け答えすらできない木久蔵はアホなんじゃないかって思った。でも、ある日気がついた。木久蔵のあの存在そのものがひとつの表現なんだ。いつしかあの大喜利という「場」そのものを破壊してしまうほどのカオスを持った彼に僕はロックを見るようになった。あれだけの「枠」にはめられた大喜利というシステムの中で決して枠の中に完結しない木久蔵。


でも、もしかしたらそんな木久蔵の存在も「いつものメンバー」があってこそなのかもしれない。モダンがあってこそのポストモダンであるように、秩序あってこその渾沌なのかもしれない。もし「笑点」メンバーが入れ替わってそこに渾沌しか残らなくなった時はモダンの終焉の時であり、反体制のロックの意味が失われる時なのだ。おそらく。

そんな時代にむかって、僕はどんな歌を響かせることができるのだろう?

[PR]
by ontan | 2005-10-20 12:21 | 主張