シンガーソングライター&プロデューサーによるblog


by ontan
乗り過ごし受験生“救助”JR東日本が温情停車
<JR特急>乗り越し受験生のために“緊急停車”



こういったニュースは「是非」を論じても良いのだが、「なぜ」を論じるのも面白いだろう。なぜ車掌は停止し、なぜこれはニュースになるのか。


僕にとってもそうだったし、多くの日本人にとってもそうだが、やはり受験というのは、日本人にとって大切なイニシエーションの儀式なのだ。だから何をおいても受験生の都合は優先されるし、部活動も趣味も犠牲にして受験へと臨むのだ。言わば「ハレ」の舞台となっている。他に大人となるための「ハレ」となる装置があってもいいのかもしれないが、まさかバンジージャンプやるわけにもいかないし、暴走族じゃないんだからみんなで殴るわけにもいかない。まして、成人式なんか単なるつまらない同窓会に過ぎなくなっている。受験は貴重なイニシエーションであり、この受験を経ることで社会に「大人」という成員がひとり増えることになっている。だから、母親連れで受験会場にいったりすると多くの大人から袋だたきに会うのかもしれないと思った。


ちなみに僕のこの記事にトラバ貼ってきたのは、全部削除したよ。だってさ、こっちへのリンクも貼ってないし、正直言ってつまらん意見のblog、いや下手するとニュースソースをコピペするだけで意見すら書けていないblogばっかりなんだもん。(トラックバックの意味さえわかってないくせに、よくもまあ女子高生や親を非難できるよね。)

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# by ontan | 2006-02-03 01:41 | 主張

ザマアミロ!

ニュース特集 : ライブドア 堀江貴文氏逮捕


こんなことに慣れてしまうのは良く無いかもしれないが、手の平を返したようなマスコミの堀江批判はお馴染みの展開だと思う。


かつてオウムの麻原だってテレビに出てタレントまがいの活動を行なっていたし、野村サッチーだって人間性にかなり問題性のある発言をしながらも人気者だった。それが、あっという間に凋落してゆく。あまりに見慣れたことだ。


ホリエモンは時代に呼ばれた存在であったと思う。僕は彼と同世代だから、彼がああいう方向に行くのはものすごくわかる。生まれた時にはもうテレビがあって、高度成長は終わっていて、少年時代を軽薄短小な80年代に過ごし、幼い頃から偏差値という数字で切られ、小学校高学年でコンピューターに出会い、高校生の頃に冷戦が終わりアメリカ型資本主義が世界を席巻し、受験生人口の最も多い時代に大学受験で勝ち残り、社会に出ようとする前にバブルが終わり、山一証券が倒産し、これからはインターネットの時代と叫ばれた世代。熱くなるなんて損じゃない? 冷めた心を持ちながらただ「行動と結果」で周りをねじ伏せる。手段は選ばない。


悲しいことに、僕らの世代の中で「勝つ」タイプって、ああいう人だったよね。えっ、彼の「道徳」が欠けていることを批判するの? 今さらですか? この国で行なわれている道徳的批判って建て前だよね。リクルート事件を中学生の頃テレビで見たけど、政治家は普通に生き残っているじゃないか。僕らは「いじめ」世代だ。みんな友達がいじめられても何にも言わなかったよ。学校に収容されている間に道徳なんてどこかへ消えた。どこかのオヤジの作った既存のルールになんて飽きているんだ。頭のいい奴は自分でルールをプログラミングした人が勝つことを知ってしまっている。それを諦めて「名無しのその他大勢」になった方が「楽」だけどね。


本当のところ、彼のやったことをいいとか、悪いとか言えるほど、僕らの道徳的な能力は発達してない気がする。ホリエモンが捕まって、僕はなぜか無性に「ザマアミロ!」と言いたくなった。堀江に? マスコミに? 国民に? 自民党に? 自分に? よくわからない。


それ見たことか! と僕は33年分込めてつぶやく。堀江君、面白かったよ。せめて殺人には関わってないことを祈るよ。(でも僕はもうちょっと真面目にやるぞ。)


*追記:「面白い」という反応を示しているのは、僕だけでは無いようだ。
津川雅彦「ホリエモンの散り方は面白い」

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# by ontan | 2006-01-30 23:58 | 主張

きれいごと言わない

ライブドアに粉飾容疑 10億円赤字を14億円黒字


ホリエモンやばいね。大体、世の中の権力取ろうと思ったらかなりエグイこともやらないといけないだろう。探り出していけば、もっとやばい会社・各種団体なんていくらでもあるはずだ。でもそういう所ほど、表面上は綺麗に見せてクリーンイメージを作ることを怠らない。


ホリエモンすごいなと僕が思ったのは、きれいごと言わないところ。「金で人の心は買える」云々の発言は批判されているが、どうせ日本人の大半は「金で買われる」ような心なんじゃないのか? それにしても、近鉄バッファローズ、ニッポン放送、衆議院選挙、世の中の「綺麗じゃない部分」をお茶の間にまでさらけ出して世論を巻き込む手法を確立したことは彼の功績(?)だろう。


今回の事件はさらけ出そうと思ったわけではないだろうが、隠すべきことが明るみになってしまったのは因果応報とでもいうべきか。さて、これは劇的なドラマのオチとなるのか、それとも起承転結の「転」くらいなのか…?

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# by ontan | 2006-01-18 13:21 | 主張

どんなに貧しくても!?

「下流社会」売れているみたいだ。僕も気になっていた問題なので、読んでみた。第2章の階層の分類の仕方やネーミングについては、ちょっとセンス悪い気もしたが、共感するところもあった。特に第3章の「団塊ジュニアの下流化は進む」という部分と、第5章「自分らしさを求めるのは下流である?」という部分は、正直、他人事じゃねえぞ、と思った。ベストセラー本書けるだけあって、よく空気わかってるじゃん。


合わせて紀田順一郎「東京の下層社会」(ちくま学芸文庫)も読む。ほんの100年くらい前の日本はスラムがあって、残飯食って、娘を売ることぐらい普通のことだった。そう考えると総中流なんてごく一時の幻想であったと言われても納得だ。明らかに今の日本の政治の方向性は格差を拡大する方向に動いているように感じるし、それに抵抗すべき人間がまんまとポピュリズムにのせられて、それに歯止めをかけようともしていない。


例えばバイトしながら音楽やっている人間達は、危機感あるか? いや、ないだろうなあ。抜きん出て商業的に成功する一部の人を除いて、みんなどうなっていくことやら。「どんなに貧しい状況になっても音楽やる!」とか言ってるやつもいるけど、甘い。本当の貧しさをわかって言ってるのかな? 本当に貧しい時は音楽なんかできんと思うよ。下手したら身体ごとどこかに売られることも覚悟しなければならないだろうと思う。たとえば、食えなくて自衛軍に入るしかなくなり海外で「平和」活動中に死ぬなんてこともありうる。もちろん戦場で音楽活動はできない。



まあでも「下流社会」で述べられている小泉ー竹中ラインの未来像はさすがに明治時代のそれのようなものとは違い、

>少数のエリートが国富を稼ぎ出し、多くの大衆は、その国富を消費し、そこそこ楽しく「歌ったり踊ったり」して暮らすことで内需を拡大してくれればいい

というような感じらしいので、それが実現すれば少なくとも「歌ったり踊ったり」はできるようだが。



過去・現在とともに未来も考えてみようと思って、ハックスリー「すばらしい新世界」も読む。人間がアルファ・ベータ・ガンマ・イプシロンなどと生まれる前から分類されてそれに合わせた教育を施されている世の中。赤ん坊の頃から睡眠学習で快・不快を植え付けられコントロールされる。ソーマなる麻薬で安易な快楽を与えられ「安定」した世界。



もちろんこれはSFだが、正直言って、安易な形で快楽を与えられて喜ぶ構図は既にいろいろな所で始まっている。塾に行けない子は明らかに受験の世界では不利だろうし、教育格差だって広がる土壌は充分ある。


僕は正直言って危機感はちょっと感じている。でも、かくいう僕もまさに「自分さがしをする団塊ジュニア」なんだと思う。下流に叩き込まれたら僕は歌ってなんかいられなくなるだろうと思っている。本当の意味で自由でいるために、少なくとも自分をいかに守るか、それは真剣に考え行動していくつもりだ。ただ、やっぱり、われわれの世代が団結して抵抗して云々というのは、全く想像がつかない。それこそSFだ。格差拡大は否めないだろうな。

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# by ontan | 2006-01-11 02:33 | 主張

ゼロ年代の批評の地平

ゼロ年代の批評の地平 —リベラリズムとポピュリズム/ネオリベラリズムと題されたセミナーに行ってきた。生で東浩紀を見たかったのと、自分としても最近興味を持っているテーマだったからという理由だ。


ただ行っただけではもったいないので、僕が印象に残ったやりたりをメモ書き程度にまとめてみた。



北田氏「ネット上のナショナリズムはコミュニケーションのネタに過ぎない」
東氏「ネタということがアメリカでは、なかなか理解してもらえなかった。ネタで済まない人達もいる」
山本氏「ネットの世界=右ということではない、主体的に発信している人の情報が大きく見えているだけ」
齋藤氏「かつての他者はコミュニケーションの通じにくい相手であったが、現在は過度に内面まで通じたコミュニケーションが可能となった、それによって"コミュニケーションによる成長や変化が起こらない"という事態に到っている。」「"変化しない意識"の共有から否応無しに"保守"を選択させられている」
山本氏「コミュニケーションの形態が、電話からメールやネットへと変化したため、"本音のつぶやき"が目にふれるところに現れるようになった」「"変化しないだろ"という気分が保守の形で現れる」
東氏「自分も北田さんも、現状では"変わらない"ものを、とにかく精緻に分析してみようという立場、最近の宮台真司については、いくら政治的発言をしても本気で"変わる"と信じているのか疑問」


東氏から山本氏へ「今の保守とは変化へのあきらめなのか?」
山本氏「反射的な回答をしているだけの人間が多いだけ、例えばネット上での嫌韓はただNOと言いたい人達の発言、あくまで保守"的"なものにすぎない。」「バイト・派遣社員は奴隷のような立場にいる。失うもののない奴らが騒いでいる。」
北田氏「ネットはどうでもいい話題によって実存的不安を解消する装置と化している。嫌韓は韓流支持の主婦層やマスコミへのアンチの表明。」
齋藤氏「若い人は過激な主張であれば、保守でもリベラルでもなんでもいい。流動性が見られる。」
東氏「"現実は変わらない、保守もリベラルも意味をなさない、以上終わり"ということでいいのか?」
齋藤「人々を先導する役目の人がポピュリストとなり、先導される人々は動物化してゆく」「言説の立場は、コンスタティブとパフォーマティブの2つがあるが、小泉首相はその中間的な人物。明らかにコミュニケーション能力に欠けていているが、それが人々をひきつけている。」
山本「小泉はキチガイ。だがそういうルールの社会なのだからポピュリズムしかない。広告業界などの手法が政治に当てはめられている。民主党はポピュリズム対ポピュリズムのカウンターとしての役割を果たせなかった。」



東氏から北田氏に「保守とリベラルという対抗軸の見えないこの情況にどう介入したい?」
北田氏「自分にとってのリベラルは断念した結果辿り着いた選択肢に過ぎない。一種のフィクションとして認めている。コミュニケーションの手法と言える。"リアルが大切"という人からは排除されがちだが。」
東氏「リベラリズムは"コミュニケーションの手法"ではなく、政治運動のはず。"コミュニケーションの手法"ということはよく理解できるのだが、そんなことでいいのかとも思う。」「自分も"動物化するポストモダン"で動物化ということは示したが、それについて、いいとも悪いとも言わなかった。」「何らかのポジティブなビジョンを出したいのだが、分析的な立場からはオルタナティブなものは出しにくい。」「ポストモダンで育った者には設計することはやりにくい。脱構築することが正義とされて来た。」
山本氏「東さんは分析したいのか?対策を出したいのか?」「 結局東さんは本当のところ何をしたいのか?」
東氏「そのうち答えたい。」(この辺りからやや閉塞感のある雰囲気となる。)


東氏「僕が受けてきた教育と社会の実情がぶつかる」「多くの動物化した人々を支配する一部の人々というふうになると、人間中心主義ではやってられない。」「小泉に見られるポピュリズムは動物化への動き」「"僕が"とかの問題ではなく、20世紀の人文科学の知自体の問題。」


北田「ネット上でナショナリズムに走る人は"人間になりたい"という現れでは。」
東氏「理想は回復できるものなのか? 理想もネタに過ぎないのか? ポピュリズムには、もう一つのポピュリズムで対抗するしかないのか?」
山本氏「普通の人は理想をまとめられない。アカデミズムの方から提出するべきだ。今はナショナリズムくらいにしか拠り所がない。保守は同質感も持つものなので、合一しやすい。」
北田氏「大澤さんも宮台さんも理想を提出しているのかもしれないが、現実にフィットしているとは思えない。自分としては答えを出せない。」
東氏「作ることは大事だと思う。今の保守は過去を呼び戻しているだけ。保守も新しいものを作る必要がある。例えば、今後移民は受け入れざるを得ないだろうが、日本は昔から移民国家だということを保守の側から言ってもいいはずだ。」


齋藤氏「今日の議論は閉塞感を感じた。言説に閉じている。例えば"ヤンキー"という層には届いていない。」
東氏「出版の衰退のせいもある。希望としては北田さんとともに雑誌を作りたいと思っている。だが、それには"何のために"というものがないとダメだと思っている。」


最後の質議応答。東氏が客席にいた宮台真司氏にふる。

宮台氏「若年世代の批評家達の閉塞感を感じた。自明性が消えそれを、"神"とか"理性"とか"伝統"とか、とにかくいろいろなもので埋めようとしている時代に、日本で埋めることのできるものが何かと、今日は期待したのだが、特に出てこなかった。」
東氏「宮台さんは『"大きな物語"はやはり必要だ。君達はどういうカードを持ってるの? 今日は出て来なかったね』ということを言いたいのでしょう」(と前置きした上)
「"カードなんかなくてもいい"と言えればよいのだが、最近は"大きな物語"への回帰が当たり前となりつつある。自分は"再近代化"しなくていいと思っている。オルタナティブを示すためには人権とか一人一票の選挙制度とかいろいろなことを壊す事になるかもしれない。今はそのためのカードを揃えている段階だ。」



最後の東氏の言葉には心を打たれた。閉塞感を認めた上で安易に「大きな物語」への回帰に走らず、「わからない」「答えられない」という言葉をたくさん使いながらカードを探すことを諦めていない東氏に同世代として僕は大いに共感した。

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# by ontan | 2005-12-26 00:32 | 知的生活
ブッシュ米大統領、「ビンラディン」を「フセイン」と言い間違う


どこかの高校の世界史の先生がビンラディンとサダムを言い間違えたところでニュースにはならない。ブッシュが言い間違えたからこそニュースになるのは、世界の人々がそこから何らかの意味を感じてしまったからなのだろう。


言語は人間がそれぞれの文化の特性に従って世界を分ける機能を持つというのは、お馴染みの考え方だ。世界のどの部分に言語で線引きするかが、その文化がどんな事に興味を持っているかの反映であるわけだ。(言語学の入門書では、イヌイットの人々は雪を呼ぶ言葉を何十、何百と持っている云々…の例で説明される。)



こんな単純な言い間違いが人々の心をとらえてしまったのは、



『ブッシュの思考体系の中では「アメリカ的正義/それ以外」という分け方しかないのでは?』



ということを思わず、このニュースから読み取ったからなのかもしれない。要するにビンラディンも、フセインも一緒ということだ。(対イランやら対ソ連という文脈の中では、かつてビンラディンも、フセインも上記の二項対立の左側に入っていたはずだが。)


アメリカに追随するだけの感の強い日本外交だが、少なくとも単純なブッシュ的二項対立の体系の右側には入れられないで済むのかもしれない。ブッシュも「コイズミ」と呼び間違うことはしない。ひとまず安心して良さそうだ。


うーん …でも全然ありがたい気がしないのは何故だ?

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# by ontan | 2005-12-21 02:37 | 主張
[米国産牛肉]2年ぶりに提供再開

<米国産牛肉>提供再開 関西の焼き肉チェーン店

米産牛、焼き肉店で復活 外食チェーンが関西で再開


というわけで、米国産牛肉の輸入再開のようだ。働く成人男子たるもの、外食はせざるを得ないだろう。否応無しに米国産を食べさせられてしまいそうで、なんか抵抗感がある。


たとえば、友人や仕事関係の人間がステーキやら焼肉を「おごってくれる」というケースになった時に、「僕は米国産の牛肉は食べたくないんですよね」などと断る勇気が君にはあるかい!?


「嫌なら食べなきゃいいじゃん」と言うのは簡単だ。でも、上司からの一杯の酒も断れない文化の中に生きる我々に、本当に一杯の牛丼を拒むことが果たしてできるのだろうか。


また、日本のあちこちには、「会社の周りには一軒しか食べる店がない」とか「昼食は社員食堂や特定の仕出し弁当のメニューを食べることを義務づけられている」とかいう所だってある。いや、因習とか文化などというレベルでなくとも、もし単純に給料日前の苦しい時に「財布に300円しかない」なんて状況で「牛丼250円、豚丼400円」となっていたら、君はどちらを選ぶ?


店に並んだ時点で、もう食わざるを得ない状況の人間もこの国にはたくさんいるのだ。


多分、結局のところ日本人の多くは米国産牛肉を口にすることになると思うよ。ま、食の危険は牛肉だけの話ではないので、気にしたらキリがないんだけど。


あれこれ語っているうちに牛丼屋もいよいよ…。
<牛肉輸入再開>不安? 吉野家「復活」 すき家「現状で」

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# by ontan | 2005-12-19 23:46 | 食生活・健康